白鳥の詩の謎
最初に発表された同人誌「新声」では「海の青」が最初にきていました。
しかし、その翌年(明治41年)に発表したの処女歌集「海の声」に掲載されたときは「そらの青」が最初にきており、晩年まで変わることはありませんでした。
館内の掛軸の書は大正10年4月4日に書かれたものなので、本来ならば「そらの青」が最初にきていなければいけませんが、「海の青」が最初にきています。これに関しては、次の事実がわかっています。
大正10年4月4日、伊豆大仁の穂積忠(はじめは牧水の門下で、後に北原白秋の門下となる)方にいた北原白秋に電話で呼び出され、徹夜で飲み明かしたときに書かれたものだそうです。そのため、酒によった牧水は最初に詩った内容と当時詩われていた内容を間違えたのだということが通説になっています。
牧水夫婦歌碑に刻まれている筆跡は、この時のものを採用していますが正式な内容として「そらの青」を最初にもっていっています。
私としては、牧水夫婦歌碑を建てるにあたって問題の筆跡を採用したならば、書の内容まで忠実に採用し、詩の間違いにはコメントを設けるべきだと思います。「そらの青」を最初に持ってきた内容を刻みたいのであれば、それが書かれた筆跡を採用するべきだと思います。「書」の内容を安易に入れ替えることは、あまりにも乱暴すぎる行為ではないでしょうか?
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