千明@猿島

猿島

中央公園から望む猿島

1253(建長5年)日蓮が房州から鎌倉へ渡る途中嵐に遭い、舟の進路が定まらなくなった時、一匹の白猿が舟の舳先に立ち、この島へ案内して以来猿島と呼ばれるようになりました。(伝説)
1877(明治10年)から1945(昭和20年)までの間、軍事施設(旧日本海軍,陸軍や米海軍)として使用されていた小島です。当時の煉瓦づくりの建物跡などが残っており、ちょっとした雰囲気が有ります。
一時、閉鎖されていた海水浴場も再開され、条件付きですが島内でのバーベキューも解禁になりました。
連絡船は三笠公園より出ています。
空から見た猿島
運行時間8時30分〜16時30分
猿島発最終17時00分
乗船料大人1,200円、子供600円

最近、猿島に行ってきた方からの報告です。どうも、子供達の探検心をあおってくれるような場所ではなくなってしまったようです。

今日は猿島に行って来ました。
家を出て「しまった!懐中電灯を忘れた!」と思っていたのですが、心配に及ばず。
洞窟だか要塞だか知らないけど、穴という穴は全て板が打ち付けてあり、見ることも
できませんでした。散策路はそれはもうキレイに舗装され、いたるところに柵が設け
られ、アヤシクて不気味なトンネルも内壁の上部をセメントでベットリと固められて
おりました。
まったくどうなってしまうことやら。
1998.3.17に日本ナショナルトラストによる調査により、猿島に残されている旧日本軍の要塞は「国の重要文化財に匹敵する」と発表されました(1998.3.18付け東京新聞より)。

猿島レジャーランド化の青写真
猿島レジャーランド構想 また、猿島公園整備と称して本土から橋を架け、レジャー島にしようとする計画があります。軍事施設から解放されやっと自然が戻った猿島を静かに見守ろうと言う事は許されないようです。
横須賀のイメージを上げるつつ、自然環境を保護するには猿島をレジャーランド島にしなければダメだと思い込んでいる人達がいますが、これまでに日本の豊富な自然が減少している理由に、人の手が入ってきた為と言う事が多くを占めている事に気が付かないようです。
最近(1996-98)では長良川やイセハヤ湾の開発問題で自然の大事さが見直されたかなと思うのですが、まだまだ、日本人の文化・環境に対するポリシーと言うのは、今まで経済教育優先で育てられた為か本当に貧しい物だとつくづく感じます。


猿島データ
横須賀沖1.7km連絡船で約10分
面積約55.500m2横浜球場の約4倍
東西約200m標高約40m
南北約450m周囲約1.6km

伝説

角なしサザエ日蓮が米ヶ浜(本土)へ上陸する時、日蓮を背負った船頭がサザエを踏んでしまい怪我をしてしまいましたが、日蓮の読経により怪我が治り、それ以来近海のサザエの角がなくなってしまった。
アワビの穴ふさぎ日蓮の乗った舟が岩礁に接触し、船底に穴があいてしまったが、日蓮が読経すると、何処からともなくアワビがあらわれて穴をふさぎ、沈没をまぬがれた。
春日神社の大蛇軍事施設として使用されるまでは春日神社(現在、三春町)があったが、当時、神社大祭の前後には上総鹿野山より大蛇が泳ぎ着き、守護神として北側洞窟に住んだ。また、この洞窟は江ノ島の岩屋へと続いていると言われている。


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