千明@観音埼灯台

観音埼灯台

江戸時代、江戸の防衛のために大筒5門と船見番所置いていましたが、慶応2年の江戸条約(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ)によって灯台が建設されました。なお、江戸条約の結果建設された灯台は本灯台を含めて8灯台あります。
この灯台の建設は当時の横須賀製鉄所に出入りする船舶のためにもなるとして、同所のフランス人所長フランソア・レオンス・ウェルニーに施工を依頼しました。
当初の仕様は全てに「ヨコスカ製銕所」の刻印がされている64,600枚からの煉瓦で造られた四角形の白塗で、地上から12.12mの高さがあり、フランスはヘンリーレポー社のフレネル式第三等不動レンズと3重心灯器、清国製の落花生油によって1,750燭光を放ち、その灯りは14海里の先まで届いたそうです。建築費は設置設備も含め、当時の金額で9,815円90銭1厘だったそうです。
しかし、当時の建物は関東大震災で倒壊し、大正12年3月15に建て直しされ、光度は22,000燭光に変わり、現在のは大正14年に建て直され、140,000カンデラに光度が上がっています。
入り口受付すぐ横には資料展示室があり、灯台で使われていた電球や灯器などが展示されています。
現在のデータ
位置北緯 35度15分10秒
東経 139度44分55秒
塗色構造白色八角形コンクリート造
等級第4等
灯質群閃白光 13秒間隔に2秒間2閃光
光度140,000カンデラ
光達距離20海里
高さ地上から灯火まで15m
水面上から灯火まで56m
初点灯明治2年1月1日
灯台敷地内には、昭和23年灯台80周年記念式典にともない高浜虚子が、昭和43年灯台100周年記念式典にともない大久保橙青(大久保武雄初代海上保安庁)が詩った歌碑があります。
虚子霧いかに深くとも嵐強くとも
橙青汽笛吹けば霧笛答ふる別れかな

昭和46年には、叙情画家の谷内六郎氏が一日灯台長として招かれており、それを記念して描かれた「 観音埼燈台にて」が事務所内に飾られています。

観音崎は、「観音公園」と記述しますが、灯台に限っては「観音灯台」と記述する見たいです。


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